ナフサ問題が江戸切子を襲う?伝統工芸の現場が抱く危機感のリアル

ナフサ問題が江戸切子を襲う?伝統工芸の現場が抱く危機感のリアル

「ナフサ(粗製ガソリン)の価格高騰や供給不足」というニュースを耳にしたとき、多くの方はプラスチック製品や化学繊維、あるいは日用品の値上げを思い浮かべるのではないでしょうか。ガラスを削って作られる伝統工芸・江戸切子とは、一見するとまったく無関係の問題のように思えます。

しかし、ものづくりの現場は、目に見えないサプライチェーンの根底で地続きに繋がっています。今回は、伝統工芸の世界、そして彩鳳の工房がいま直面している「ナフサ問題」のリアルな裏舞台についてお話しいたします。

一見、無関係。
なのに江戸切子の現場が危機感を募らせる「ナフサ問題」のリアル

そもそも「ナフサ」とは何か?

ナフサとは、原油を蒸留して抽出される「粗製ガソリン」のことです。私たちが日常で使うプラスチック、ビニール、合成ゴム、合成繊維、そして各種溶剤(シンナーなど)に至るまで、あらゆる「石油化学製品」の原材料となる、まさに現代のものづくりを根底から支える重要な基礎素材です。


なぜいま、ナフサが不足しているのか?

主な原因は、世界的な地政学リスクによる原油価格の高騰、および主要な供給国からの物流・生産停滞です。さらに、エネルギー需要の構造変化や主要プラントの稼働状況が重なり、原材料としてのナフサの確保が世界規模で難しくなっています。この「上流」での供給不足と価格高騰が、国内のあらゆる製造業へ波及しているのです。

1. 「納期不明」でも繋いでくれる関係性。逼迫する梱包資材の仕入れ現場

江戸切子は、職人が極限まで細かくガラスを削り出す、非常に繊細な工芸品です。完成した作品をお客様の手元へ、傷一つなく安全にお届けするためには、プチプチ(緩衝材)や専用のスポンジといった梱包資材が絶対に欠かせません。これらはすべて、ナフサを原料とするプラスチック・化学製品です。

現在、この資材の仕入れ現場は非常に厳しい状況に置かれています。資材業者からは「次の納期は不明」と告げられることも珍しくありません。それでも、長年培ってきた信頼関係があるからこそ、業者の皆様も工面を重ね、不透明な状況下でありながらもなんとか資材を納めてくれているのが現状です。

しかし、それだけでは足りない事態に備え、私たちは小売店やAmazonなどのネット通販をはじめ、あらゆるルートから直接資材を購入して確保するという、なりふり構っていられない対策を余儀なくされています。一つのグラスをお届けする裏側には、こうした資材確保のための地道な闘いがあります。

 

2. 職人の「命綱」であるシンナーの危機。最重要工程「割り出し」への直撃リスク

ナフサ不足がもたらすもう一つの大きな影が、製造工程で使われる「シンナー(有機溶剤)」の価格上昇と供給不足です。ガラスを削るだけの江戸切子に、なぜ石油由来のシンナーが必要なのかと思われるかもしれません。実は、これが職人にとっての命綱なのです。

江戸切子において最も重要であり、職人の技量が試されるのが「割り出し(下描き)」という工程です。まっさらな硝子生地に、油性マジックを使って緻密な格子状の基準線を張り巡らせていきます。この線をガイドにして職人は正確に刃を当て、伝統文様を刻み込んでいくのですが、カットが終わった後、この油性マジックの線を完全に消し去るためにシンナーが必要不可欠となります。

現在、私たちの工房では、先を見越して積み重ねてきた十分なストックがあるため、現時点での生産ラインへの影響はわずかに留まっています。しかし、これはあくまで一時的な「防衛ライン」に過ぎません。

 

3. ストックが切れたその先――「これまで通りのものづくり」が突然できなくなる怖さ

もし、このまま世界的な情勢が好転せず、手元のシンナーのストックが底を突いてしまった場合、事態は「資材が高くなる」というコストだけの問題では済まなくなります。

マジックを消すためのシンナーが手に入らなければ、私たちはこれまでの「割り出し(下描き)」の方法そのものを根本から変更せざるを得ません。別の代替原液や方法を探し、それが硝子生地を傷めないか、職人の作業に支障が出ないかを検証するための「代替テスト」を何度も行う必要が出てきます。それはすなわち、職人がガラスを削る時間を止め、生産ラインを一時的にストップさせるリスクを意味しているのです。

製造元としての覚悟

世界的なナフサ不足は、私たちがどれだけ技術を磨いても、自分たちだけの力ではコントロールできない外部の波です。だからこそ、ストックがある今のうちに、最悪のシナリオを想定した準備とテストの想定を進めておかなければならないという、特有の緊張感が現場にはあります。

4. まとめ:目に見えない「資材」にも宿る、伝統を繋ぐための裏舞台のプライド

私たちがお客様にお届けしたいのは、ただの美しいガラスの器ではありません。伝統を受け継いだ職人が、一切の妥協なく一本の線を追い求めた「時間」と「誇り」そのものです。

華やかなカット技術や、光を浴びて煌めくクリスタルガラスが主役であるならば、それを影で支える梱包資材や洗浄用の溶剤は、名脇役と言えます。この目に見えない名脇役たちを必死に確保し、生産ラインのクオリティを一日たりとも落とさないように維持すること。それ自体が、いまの時代に本物の伝統工芸を守り抜くということであり、製造元としてのプライドです。

どれほど周囲の環境が激変しようとも、私たちは繋がってきた本物の技と品質を、決して絶やすことなく皆様の食卓へ届け続けます。

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